2015年6月27日土曜日

宇宙の姿と探求の原動力

 私の職業はエンジニアです.
 技術の世界も日進月歩なのですが,宇宙に対する理解も日進月歩のようです.

 久しく宇宙についてまじめに調べることもしていなかったのですが,最近放送大学で宇宙に関する講座を見ています.
 あくまでも「見て」いるだけというところがミソ?なのですが…

 技術の進歩により,昔よりもかなりのことが明らかになってきており,理論も進んでいることがわかりました.
 昔の私の理解は,宇宙には終わりがあるわけではなく,ここから見える宇宙には限りがある,
というものだったのですが,
ESA/Hubble & NASA
宇宙の晴れ上がり以前の宇宙は見ることができない.
つまり138億光年より遠くの宇宙を見ることはできない.

 しかし,理論によると,そこが「宇宙の果て」と決まったわけでもなく,なかなか興味深い議論がなされているようです.

 それにしても,人類の知りたいという欲求は科学技術の進歩を促し,宇宙の根源まで遡る勢いです.
 まるで,神の足跡を見つけようとしているみたいです.
 その昔,物理の統一理論を研究している人は,神の手を感じる,という旨のことを聞いたことがありますが,その気持ちはわかるような気がします.
 もっとも私は自然の美しさを見るだけで神を感じてしまう,八百万の神を信じる日本人そのものみたいな人物ですので,レベルが全く違いますが.

 結局この世界について深く知れば知るほど,世界の奥深さを感じることになり,原始時代のアミニズムのように,人は世界に「畏れ」を感じ,そこに神を感じてしまうのかもしれません.

 スケールが違いますが,エンジニアである私も日々業務でその現象の「原理原則」を突き止め,よい工程を築きあげられるよう,日々努力しております.

 原理原則が見つかったときの嬉しさが,私のエネルギーとなっているのですが,おそらく理論物理学を修めている方も,程度の違いこそあれきっと私のように「嬉しい」体験のために,日々精進されているのでしょう.
 もしかしたら,私が宇宙に関するプログラムが好きなのは,とてつもなく巨大な謎に向かって挑戦している方々を知ること,その成果を知ることなのかもしれません.

2015年6月14日日曜日

川口起美雄展の最終日に見にいく

 本日まで平塚市美術館にて開催されていた,川口起美雄展に行ってきました.
平塚市美術館
きっかけは,見ていなかった日曜美術館を昨夜見ていたところ,一緒に録画したアートシーンで紹介されていたためです.
 そのときの反応「あ,明日までじゃないか!」
 ということで,平塚行きが決定した次第.

 駅から歩くと結構距離がありますが,途中平塚八幡様などを見ながら(裏には抜けられませんので注意)たどり着きました.
 来場者はとても少なく,しかし作品は大判のものもありゆっくりと楽しめました.

 川口氏は,幻想的な絵画で知られているそうです.
 私には一部マグリットを彷彿とさせるような絵もありました.

 初期は,ざくろ,石,丸い物体,櫂,鳥といった共通のモチーフが使われている幻想的な絵が多く,途中,ドームのある塔や花を描いたものがあったり,最近では写実的に見えて,現実とは異なる不安な要素や,問いかけるような題がつけられている絵がありました.

 私は,鉄道の操車場とそこにいるウサギを描いた別れのワルツ,
ヒヤシンスの水耕栽培容器の上にサイがいる,ヒヤシンス,
海とそのはるか向こうに見える工業地帯を描いた,ある感情
などがよかったです.

 会場の平塚市美術館ですが,非常に立派な建物で,府中市美術館ともども,市で美術館を維持できるのはいったいいかなる努力があるのだろう,と考え込みました.

博物館敷地内れているD52とその説明 コンクリ?
関係ありませんが,1階の資料コーナーで洋画の本を一通り見てから美術館を後にして,途中博物館の敷地を経由し,平塚八幡様を詣でてから帰宅しました.
 住んでみるといろいろあるのでしょうが,平塚はなかなかいい町である,と再認識した訪問でした.
 



 
御朱印帳を忘れるという失態に気がついた八幡様