2017年5月7日日曜日

息子と父親

 男の子は父親を超えていくものです。
 男の子は成長とともに絶対と思っていた父親のことが分からなくなります。
 父親の言っていることは正しいのか
 父親のやっていることは何なのか
 父親以外から父親の知らない事を知った

 そんな経験が積みあがってくるものです。
 それは息子の世界が広がり、物事を自分で判断できるようになりつつある証拠です。
 つまり息子がまっすぐ育っていけば必ず通過する時期で、その乗り越え方でその後の人生が決まると私は考えています。
 まあ、大抵は父親に反発し、怒ったり無視したりするようになりますね。
 ついには父親の人生の背景を理解できるまで成長して父親を許し、本当に「大人」になる。

 さて、私は息子に対する父親の究極の役割は「立ちはだかる壁」だと思っています。
 壁にぶつかり、苦悩したり・腹を立てたりしながら壁を回るか、よじ登るか、壊すか。
 その過程が大人になる息子に対する父親のできる最後の贈り物ということで。

 私も散々ぶつかりましたし、最後は泣かれましたっけ。

 到達点まで達した友人が御両親から祝っていただいた、という話をうかがい、乗り越えていった息子を祝福できる御両親と本人である友人に、心からの祝福の言葉を贈りたいです。
 一方わが父親は、まあ、そういう事に気が付かないのが「わが父親らしさ」なので、「らしく」生きていていただければそれ以上求めることはありません。
 そんな父親に祝福されたのはいつだったっけなぁ。
 
 友人がシェアしてくれた出来事から、ふと思い出したのでした。
 おまけに、私の目標も。
 「乗り越えるのが面倒くさい厄介な(いい意味で)大人」ですから。
 イメージとしては母校で教えていただいたK先生です。
 まだまだこれから頑張らなければ!

 
 
 
 
 

 

2017年5月3日水曜日

寓意だらけの絵画 ブリューゲル

「三つのしもべ」という言葉が浮かぶのは年のせい
NHK後援の「ミュシャ展」の後、朝日新聞グループ後援の「ブリューゲル バベルの塔展」を見てきました。
 何分バベルの塔時代の絵を対象としているので、イカロスの墜落とか、農民の婚礼といった昔百科事典で見たような絵はありません。
 正直言って、今回見たような寓意にあふれた絵を描いていたとは知りませんでした。
 (バベルや、前出の2作は名前と作品が結びついていませんでしたが)
 ということで、展示物はオランダ(昔の「ネーデルランド」)の他の作家の絵や木彫りの像などが展示されているという構成でした。

 キリスト教の像というと木工という印象はなかったので、木目がそのままの聖人たちの像が新鮮でした。
 小さい像に
来ている服の襞が美しく彫られているのを見て、日本の仏像彫刻のすばらしさを思い出しました。
 年代から考えると、日本は中国というお手本があった影響なのでしょうね。

金銭の闘いをステッカーに
さて、ボスの絵。
 実は彼の絵を意識して見たことがなかったので、ほぼ初見でした。
 含みのある絵はシュールなのですが、しっかりとした解釈があるところにマグリットのような解釈の定まらない(ない)絵とは全く異なります。
 これはこれで面白いと感じました。
 そしてブリューゲルの版画群。
貴方はなぜ壁向き?
個人的には金銭の戦い、大きな魚は小さな魚を食う、が気に入りました。
 金銭の戦いなんてまさに精緻に描かれたダジャレ
、と感じました。
 パトロンの求めに応じてボス風の絵を描いたということですが、隅から隅まで間違い探しのように楽しめるのでした。
シュール…

 さて、バベルの塔は流れながら見るスタイル。
 反対側の壁にある精密複製画でじっくりと見させていただきました。
 しかし、やっぱり牧歌的な絵の画家と結びつかないのでした。
 そして、いつもの通り余り物は買わずに(お高いボスのCD付豪華本にはかなり惹かれましたが)モンスターのガチャをやって終了でした。
とこれだけでは終わらず、帰宅してアマゾンにてタッシェン英語版のブリューゲル本をポチったというオチで終了しました。
届くの楽しみです。

 

ミュシャ展を見て

国立新美術館で行われているミュシャ展に行ってきました。
アールヌーボー調の柔らかい女性の絵ではなく、チェコに戻ってから描いた大作、スラヴ叙事詩がメインの展覧会です。
ゴールデンウイークの特別開館であったのですが、皆さんご存知で時間前に到着したのですが、既に100人以上が開場待ちで並んでおられました。

入場すると、すぐ音声ガイドを求める人の列に当たります。
通常の展覧会より多くの人が求めているように見受けられました(その理由はあとから分かったのですが)
その列をかき分け?本会場に入るとすぐ、スラヴ叙事詩の大作が並ぶホールでした。
既に会場には沢山の人が観賞中でした。
大きい作品なので、皆さん引いた位置で観賞。
作品の説明が左右と作品前にありますが、見ている所からは当然読めないので近づくことになりますが、そのおかげで作品に対してコの字型に人垣ができることになっていました。
音声ガイドを持っている方はそのままの位置で観賞されていたので、借り出しの列の意味が分かりました。
絵画としてはもちろん素晴らしいのですが、歴史的に蹂躙されたことの少ない日本民族であることを自覚しました。
色彩や明暗、絵画そのものでスラヴ民族の苦難が描かれており、主題も説明があるので理解できるのですが、描かれている人物名等を理解していればもっと心に来るものがあったのではないかと考えます。
宗教戦争の知識が少しはある私が絵から感じる無念や怒りより、きっと彼らが絵から感じる感情は強いと思います。
頭で考える感情と自分たちの民族が経てきた歴史からくる感情とでは、比べるべくもないでしょう。
やはりこれはスラヴ民族のための絵なのです。

しかし、不安、怒り、悲しみ、決意を訴えかける、強い目の表現。
イメージを強化するために空中に描かれる神などの象徴。
画面の中で受難の人々やキーとなる人を照らす強烈な光。
どれも素晴らしいものです。
撮影可の15作目イヴァンチツェ兄弟団学校
遠景の白くボケている建物や山などの描写も素晴らしいです。
個人的には9作目のベツレヘム礼拝堂の絵が暗い礼拝堂の中で燦然と光を浴びている人の印象が素晴らしいと感じました。
6作目の東ローマ皇帝として戴冠する…の一番前の丸顔のスラヴ女性も美しい!

パリ時代の作品では4つの花よりは、4芸術の方が私は好きです。
同じ絵の背景である青空
ヒヤシンス姫の美しさ・意志の強さはもちろんですが、折り曲
たくましい…

実は一番気に入ったのは、プラハ市民会館市長の間に書かれた壁画だったりします。
強い意志を示す主題となる人の表情、そして背景にいる副題の意味を象徴する人がかかれています。
闘う魂内、背景の戦士の眼力と構えた剣の力強さをはじめ、公正、堅固…どれも素晴らしい絵です。
げた肘に目が釘付けでした。
展示されているところを何度か回ってしまいました。
ミュシャが市長の間にいる人に「市長たる覚悟」をいつも思い出させる為の絵と感じました。
スラブ民族の歴史と誇りを忘れるな!そう言っているような。
背筋が伸びる、というべきか。
(気になる方は、グーグル先生に、「プラハ市民会館・市長の間」と聞いてください)

まだやっていますので、これから行かれる方はオペラグラス(死語?)を持ち、音声ガイドを借りることをお勧めします。