2014年9月21日日曜日

贅沢な休日

 土曜の夜の天気予報で急遽出かけることにした日曜日.

 横浜トリエンナーレ経由,入船通りまつりと,アートとお祭り(ビール)をはしごする目論見.

 さて,横浜美術館には横浜から歩いて行く私.
 原則撮影可能と言うことで持ってきたネオ一眼で写真の練習をしながら向かいます.

計算された公園
今日は本当にさわやかなよい天気でした!
家族連れも多く,街は楽しげに歩く人たちで一杯でした.
いつもはあまり気にしていなかったのですが,グランモール公園を日産本社側からクイーンズ方面を望んでみると,この公園ののコンセプトらしきものをやっと理解することが出来ました.
 美しい!
 写真の構図の勉強にもなりますね.
 花壇では,ぼかしの練習.
一番右の花に焦点が合っている失敗作
狙った構図ではピントの位置がずれているし、ピントが合っていても構図がいまいち,または主題が絞り切れておらず何を取ったのかが分からない写真など,やっぱり写真は難しい!
 などと道々写真を撮りながら横浜美術館へ到着.
 トリエンナーレと言うことで3年に1回,前回から3年経っているのに感慨もひとしお.

美術館の前には炊き出しカフェが.
大阪は釜ヶ崎(あいりん地区と言った方がわかりやすいかも)で活動する方々が、活動を紹介するものが.
前日は親子丼だったそうですが,本日はどうだったのでしょうか.
 開始1時間前でもすでに並んでいる方が居ました.
今回のテーマ副題,世界の中心には忘却の海がある,に,「忘れられがちなドヤ街のこと、そこに暮らす人たちのことを思い出して欲しい」ということでのパフォーマンスであると理解しました.


錆ていく作品:海が近いので加速中?
そのほかには美術館前にレーザーカットで切り出した鉄板を点付け溶接して組み立てた低床トレーラ、風船が重なったようなオブジェが飾られていました.トレーラーはただの鉄のようで、どんどんさびで朽ちていきいつか忘却の彼方へ.エントロピー増大の法則を形で示しています.

結んだところがキュート?
風船ならゴム膜から空気が少しずつ漏れていき、いつかは小さくなってしぼんでしまう…
のですが,質感はゴム風船そのものですがこれは中身が詰まっている様です.こちらはなくなるはずのものがいつまでもそこにあると言うことで逆説的に忘却を思い起こさせる作品でした.
 小さな子供にとっては格好の餌食のようで,ぺたぺたさわれてました.(^^;)

 さて,今回は初めてツアーなるものに参加.ボランティアの方による説明を受けながら会場を回ってみました.
いままで音声ガイドも借りず,我が道を行く鑑賞スタイル一辺倒でしたが思いの外よい経験になりました.
一人でおもしろがるよりも,みんなでおもしろがったり考えたりするというのが良いのかもしれませんね.
ハムって肉はなくて豚肉だけど忘れてないよね?(私家題)
今後は展覧会ごとにイベント情報をチェックして極力参加するようにしたいと思います.

さて、いろいろと見所がありましたが、興味のある方は11月3日まで開催されていますので、お出かけしてみてはいかがでしょうか.
なお、1ヶ月を切ると混み始めますのでお早めに.
私は新港パークの会場を残しましたので,オクトーバーフェストの時に行こうと考えています.

コースター
さて、展覧会ではなかなかものを買わない私ですが、今回は応援グッズ扱いの木製コースターを購入.私的には良い感じ♪
十分堪能したところで,関内にある入船通りで行われている秋祭りへ直行!
狙いは,この通りにあり,祭りに参加している横浜地ビールです.
お昼にちょっと一杯(沢山?)やって休日を楽しもうという魂胆でした.
 日のあるうちから外で呑むのはなんと楽しいのでしょう!

昼から一杯
背徳感のなせる技でしょうか??
 本来町内会の催しのようですが,ファンの多い横浜地ビールを狙って来ている私のような方もちらほらおられました.
 飲み物は仕方ないとしても食べ物はそこそこリーズナブル.
 ペールエールとバイツェンをこの順でいただく,という私があまりしない飲み順で堪能し,祭りを後にしました.
 ほろ酔いで関内駅に向かっていると,diskUnionを発見.ふらふらと店内へ入ると中古品半額フェア中!
 危険なパターンです.
私は昔からCDショップに入ると何時間でもつぶせる人種なのですが,今回は3枚選んで1時間で身を引けましたので,めでたしめでたし.
 休日を十分楽しみ,意気揚々と帰宅したのでした.
 明日から仕事頑張ろう!!
 


2014年9月15日月曜日

八幡宮の宵宮祭に行って参りました

 明日から八幡宮は例大祭.
 流鏑馬で有名なのですが今年に16日は火曜日のため見ることあたわず….
 どうせならと言うことで,宵宮(よいみや・よみや)祭を見てみようと言うことで行って参りました.

 不勉強なので宵宮祭とはなにか分からなかったのですが,本祭に先駆け,前日に神の降臨を行う行事と言うことの様です.
宵宮祭
 
八幡宮のページ
亀ヶ谷坂からの眺め

 例によって,自宅から徒歩で出発し,正面から参宮すべく,いつもと違い,亀ヶ谷坂 (かめがやつさか)経由です.
巨福呂坂(こぶくろざか)はいつもの北鎌倉からの道ですが,歩道が狭くかつ人も多いので回り道です.
 回り道して正解でした.亀ヶ谷坂は舗装されているとはいえ趣のある良いところでした.

 さて,回り道して八幡宮へ行くと3連休のためか,すごい人人人….
空いている時間を狙って初詣に行ったりするので久し振りににぎわっている八幡様です.
一心に合唱
例大祭中はいろいろな催しがあるのですが,本日は16時から北鎌倉女学園合唱部による合掌の奉納,宵宮のあとにはまた別の奉納が予定されていました.
 リハーサルでは注目を浴びて笑みのこぼれる事もありましたが,さすがにそこは神前.
本番では気持ちの入ったすばらしい合唱をされ多数の観客から拍手がわき起こっていました.

 さて,日没まで野暮用があり少し八幡宮から離れ,いよいよ日没
となり,宵宮祭の始まりです.
 舞殿手前左の場所で神職の方々お祈りをし,本宮へ向かいました.
 
 
 
 
 
何に使うのか分からなかったのですが,あそこが八幡大神様のお降りになる場所だったのですね!
 夕闇の中神職の方々が列を作って参道を行く姿は荘厳な光景でした.
 皆さんが本宮へ入られた後は一般参詣者も門の所まで行って参詣出来るのですが,順番を待っている間奥で行われている神事を見させて頂きましたが,こちらも荘厳な光景でした.
 
 人によっては明日の本祭より宵宮祭を重視するのもよく分かりました.
 鎌倉という地に住んでいること,日本に住んでいることに誇りを新たにした宵宮祭でした.

 
 
ちなみに…
本当は,朝四時から行われる御祓も見たかったのですが,すっかり忘れており,目を覚ましたのは良いものの,寝ぼけて理由を思い出せない始末…
すっかり日の暮れた八幡宮

 

2014年9月14日日曜日

故郷

 自分の人生を振り返ってみると,本来の定義とは別にして,複数の場所を「故郷」と見なしている事に気が付きました.

 1:幼少時代の痛烈な印象を持つ松戸
 2:成人するまでを過ごした柏
 3:初めて家をでて住んだ今も居を構える鎌倉
 4:徹底的に仕事に打ち込んだダラス

ダラス郊外のハイウェイを行く
1から3はともかく,4のダラス(正確にはDFWメトロプレックス)も同列として見なしています.

 まあ,あれほど何もかも捨てて(?)仕事に打ち込んだことはありませんでしたから,当然なのかもしれません.
 人間の生活時間と言うよりは,半導体プロセスの都合時間で過ごす毎日.
 夜中に帰宅するときはハイウェイを行く長距離トラックの音に,夕方は雄大なグレートプレーンズに沈む夕日に,日中となる場合は容赦のない日差しに慰められ(?)たものです.

グレートプレーンズの荒れ模様
実は,赴任終了後も業務で3,4回行ったことがあるのですが,もはや帰る家など無いにもかかわらず「帰ってきた」という感想を持ったものです.
 今でも地元ローカルスポーツチームの動向を見ているなどそれなりに繋がっている(つもり)です.

 ちなみに,学業にもそれなりに打ち込んだ大学6年間でしたが,そこで「寝て」生活しなかったためか調布に上記4つまでの感情はありません.
 まあ,比較の問題なので仕方無いというところでしょうか.
 徹夜したり,死にそうになったり(今考えると非常に危険)といろいろなことがあった場所なのですが,面白いものですね.
 今は3の比重が年々大きくなってきています.
 
 

おセンチな旅

 お盆に実家に帰ったついでに幼少期を過ごした場所を尋ねましたが,その翌日少年時代を過ごした柏市を訪れていたのです.
 ええ,先日のアド街っくをみて思い出しました.

 私の少年時代を過ごしたのは今Jリーグ柏レイソルが練習場として使っている球場の近く.
柏市で小学3,4年を過ごした人なら地域の歴史を学ぶので知っているのですが,その場所は元日立の関連施設があったところ.
 少なくとも私が柏に引っ越してきてからJリーグが設立されるまでの20年間は施設跡,という広場(本当は柵があって入っては行けない場所であったが)でした.
 このあたりは,柏市,日立製作所,などのキーワードでググって下さい.
かつての商店街は見る影もなく…
Jリーグ設立当初は現在の柏の葉スタジアムはスタジアムどころか一部宅地開発が始まったばかりで影も形もなく,自宅のそばの球場がメインスタジアムでした.
 それでも一部はまだ手つかずであったのですが今や周囲の空き地はすっかり宅地になっていました.
 まだ平均年齢がそれほど高くなかった小中学校時代,自宅の周辺は社宅や住宅が多いため子供が沢山居たのものですが,訪れたときには思い出の公園で遊んでいたのはわずか1家族のみ.
 聞けば商業施設の発達と子供が育ち家を出て行くための緩やかな人の減少により近くの商店街はほぼ壊滅状態とのことでした.

体育館に貼られた募集案内
今回,訪れたときもそれを確認できましたが,その一方で大学に入学して生協の理髪店にお世話になるまでずっと通っていた理髪店が代替わりして営業していたり、最初の自転車を買った自転車店がまだ営業していたりと、うれしい発見もありま
した。
 足を伸ばして、小学生時代に警察の方に剣道を教えてもらっていた隣の小学校へ行ってみたところ、まだ行われていることを確認。
 警察の方が青少年の健全化に継続的に貢献して頂いていることが見受けられました。ありがたいことですね。



今回の私にゆかりのある場所を訪ねる旅(?)でしたが、そこにあるので知っている場所なのですが、時間が経つにつれ確実に変化し元とは微妙に異なる場所になっているという、ごく当たり前のことを確認する事になりました。

 確かにその場所はそこにあり、思い出も私の中にありますが決して当時に戻れるはずもなく、当初の目的通り、前を向いて進んでいくための糧になりました。

 時間の経過という燃え尽きた橋を渡って元の場所に戻ることは出来ない。
 出来るのは前に進むのみ、です。