2015年4月25日土曜日

べき、という言葉

 私は「べき」という言葉には少々過剰反応する事があります。
 特に他人から「~すべき」と言われると特にカチンと来ます。
 私はこの、「すべき」という言葉は自分に向けて使う物と考えています。
 会社でよく上司が発言している言葉に下記のような物があります。
 上司:プロジェクト効率化の為には~を行うべき
 
 私はひねくれ者の為か、この言葉を聞くと、「やんなくてもいいんですね」と切り返したくなります。
 こうとも取れます。
上司:プロジェクト効率化の為には~をやらなけりゃいけないの、分かってるよな?
 私からすると間接的過ぎます。
 まるで
 天の絶対的な法則があるんだから、やるのは当たり前、そうだろ?
 と言っている様に聞こえます。
 プロジェクトに責任を持つ立場であれば、私だったらこう言います。
 プロジェクト効率化の為に~をやってください
 私がお願い(要請)している、という直接的な言い方です。
 一方自分に使う場合には、自分が目指す目標に向かうためにそれは絶対的にしなければならない事でしょうから、「私は、~をすべき」となります。
 すべきということばを連発する上司の元で行われているプロジェクトメンバーに元気が無いのを見て、疑問に思っていたのですが、自分がそのプロジェクトに関わる事になって非常にイライラすることが増えました。
 で、自分との違いに気がついたというわけです。
 最初はどちらがいいとか考えていませんでしたが、より気を使って喋る様になりました。
 
 

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